HTML文書をブラウザから印刷すると、無駄な余白が気になったり、必要でない部分のテキストが気になったりします。そこで、テキストを編集するソフトを作成しました。特に、必要でない部分を削除する機能に特化しました。もともとは自作のソフト「桃」(今は開発を停止中)の編集機能を独立させて、その後、機能を追加させたものです。テキストの不要な部分を削除するのですから、鉛筆削りならぬ「テキスト削り」という名前にしました。このソフトを作成した背景について、1999年当時のことですが、以下に説明します。情報化社会というのは、コンピュータ化社会だという、いわば偏った意見があります。しかし、情報というものは、何もオンラインやコンピュータによるものだけではありません。本や雑誌、あるいは人との話、あるいは自然の風景や町の様子、相手の表情や、食べ物の臭い、感触、風など、いろいろなものや感覚などが情報です。
また、その情報は単に「受容」の問題だけではありません。「発信」も情報の一部です。情報化とは、自らの発信面の内容や方法の変化も意味します。変化とは、量が増えるだけでなく減ることもあり、内容が簡素化したり、深化したりすることも含みます。
この情報化社会においては、情報量が問題になります。そうなると、その情報の選択能力をより深化することを求められます。いわば、「読み」を深化することが必要なのです。深化は情報の取捨選択だけではありません。情報がどのような意味を持つのか、そして、その情報が自分にとってどのような影響を及ぼすのかを、その情報から考えて判断することになります。
みかんがあるとします。そのみかんを触ったり、匂いをかいだりします。「さわった感触は、かなり柔らかい」「匂いはまったくない」などは一次的な情報です。その感触から、どうもこれはおかしいと判断すること、これが「読み」です。一次的に入手した内容をもとに新たな判断を下すのです。
新聞を読むとします。新聞には内容そのものが書かれています。しかし、その背景や経緯までは不十分なことがあります。その内容を探ること、これが情報の「読む」です。ある新聞では肯定的に書く、ある新聞では否定的に書く。それぞれがどのような立場から書いたらそうなるのか、それを判断してゆくことが情報の「読み」です。
ある意味では、この情報の受容は、分類と削除の連続ともいえます。内容を分類し、不必要な部分を削ります。そして、その分類をいくつも重ねていくことで、いろいろな視点から検討します。いままでの視点ではない、新たな視点を見出すこと、これが情報の「読み」の成果です。分類と削除を人間は意識せずにしているのです。
情報社会においては、情報過多の問題があります。その中から必要な情報を選択できる能力が求められます。情報化社会では、情報選択能力がより求められます。情報選択能力育成には「検索」や「抽出」する力が必要です。これらの力は「理解」です。「理解」には「表現」がともないます。この両者は密接に関係しているのに、両者を別物と考えるとき、人間を科学的な一面性しか捉えることができず、結局、情報選択ができなくなります。
コンピュータ利用の目的は、最小のデータを有効利用して多くの情報を提供し、新たな考えや機能を構築することにあります。その反面、インターネットなどにより情報量は増えすぎています。それをどう加工して自分が欲する形態に変えていくか、これがいま求められている情報処理能力です。
パソコンには電子テキストが多く蓄積されます。それを読み取るとき、必要な情報を抽出します。その道具が必要なのです。必要な情報をすぐに得るソフトが求められます。いまでもいくつかありますが、より簡単でより正確、そしてより速いソフトが出てくるようになれば、もっとパソコンは便利になります。
これらの考えのもとに「テキスト削り」を作りましたが、Windows XP/2000になって、うまく動かなくなりました。そこで、正規表現などの便利な機能を削除し、簡単な削除のみにしたのが「テキスト削り2」です。バージョンアップは頻繁にはできませんが、少しずつゆっくりと改良していきたいと思います。
このソフトは、自らの「発信」ではなく「受容」に使われるソフトです。あくまでも、ちょっとあると便利な「隙間ソフト」です。そんなソフトでも、ソフトの文化を育てていけるのだと信じています。
(黒川 孝広)